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名古屋地方裁判所 平成9年(ワ)407号 判決 1999年5月31日

原告

永田眞敏

ほか一名

被告

京丹合同運輸株式会社

ほか一名

主文

一  被告らは、原告永田に対し、連帯して金九一一四万七三三九円及びこれに対する平成六年二月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、原告柳井に対し、連帯して金一四五万五五六三円及びこれに対する平成六年二月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを一〇分し、その四を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

五  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告らは、原告永田に対し、連帯して金二億一六一三万〇二七三円及びこれに対する平成六年二月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、原告柳井に対し、連帯して金一四〇二万六六五七円及びこれに対する平成六年二月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告柳井が運転し、原告永田、訴外永田俊子(以下「亡俊子」という。)及び同永田丈二(以下「亡丈二」という。)が同乗する普通乗用自動車(原告車)が、東名高速道路から転落した事故について、同事故により死亡した亡俊子及び亡丈二の相続人である原告両名が、右事故前に事故現場に積載物を落下させた大型貨物自動車(被告車)の運転者である被告小谷に対しては、民法七〇九条、七一〇条に基づいて、また、被告会社に対しては、自賠法三条、民法七一五条に基づいて、それぞれ損害賠償を請求した事件である。

一  争いのない事実等(証拠を示した部分以外は争いがない。)

1  次のとおりの交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(一) 日時 平成六年二月八日午前九時三五分ころ

(二) 場所 愛知県春日井市西山町地内東名高速道路下り線(以下「下り線」という。)三三九・〇キロポスト先道路上(以下「本件事故現場」という。)

(三) 原告車 普通乗用自動車(三河三三は六九五七)

右運転者 原告柳井

右同乗者 原告永田(助手席)、亡俊子、亡丈二(後部座席)

右所有者 原告永田(甲五)

(四) 態様 原告車が下り線から路外に逸脱した(乙一)。

2  平成六年二月八日午前九時二八分ころ、本件事故現場付近において、被告小谷が運転する大型貨物自動車(京都一一き四三一)(被告車)の荷台から、固定してあったゴムひもが切れたため、積載してあった緑色防水シート及び青色防水シートが落下した(乙五、八、一〇)。

3(一)  被告小谷は被告会社の従業員であり、本件事故当日、被告会社の業務として被告車を運転していた。

(二)  被告会社は、被告車の所有者として被告車を自己のために運行の用に供する者である。

4  本件事故後、亡俊子は平成六年二月八日午前一〇時一九分外傷性ショックにより、亡丈二は同日午前一〇時三八分脳挫傷により、それぞれ死亡した。

亡俊子は原告永田の妻、原告柳井の母であり、亡丈二は原告永田の次男、原告柳井の弟である。したがって、亡俊子の相続財産の内四分の三(亡丈二の相続分を含む)を原告永田が、四分の一を原告柳井が各相続し、亡丈二固有の相続財産の全額を原告永田が相続した(甲一)。

二  争点

1  防水シートの落下と本件事故との相当因果関係の有無(双方の過失の有無、程度)

(一) 原告らの主張

本件事故当時、下り線に制限速度の規制は行われておらず、原告車は、時速六〇キロメートルから七〇キロメートルの速度で下り線の追越車線を走行中、前方の大型貨物自動車との車間距離が十分でなくなったことから走行車線に車線変更した。その際、被告車から右走行車線上に落下していた緑色防水シートが右大型貨物自動車の通過による風圧で立ち上がり突然原告車の正面に現れた。原告車はこれを回避しようとして制御不能に陥り、路外に逸脱する本件事故に至ったものであり、被告車からの緑色防水シートの落下と本件事故との間には相当因果関係がある。

被告小谷には、落下物の存在が大事故の原因になりうる高速道路において、被告車を走行する際、容易に切れやすい古いゴムで緑色防水シートを固定して積載、走行し、被告車から緑色防水シートを落下させ、高速道路を通行する車両の通行を妨害した過失がある。

他方、原告柳井は、原告車が右ハンドルであり、追越車線の前方に大型貨物自動車が存在し運転席からの左前方の見通しが遮られていたために、走行車線に落下していた緑色防水シートの発見が遅れ、車線変更をしようとした途端に落下物が眼前に現われたのであるから、これを回避することは不可能であった。

したがって、本件事故の原因は被告小谷による被告車からの緑色防水シートの落下にあり、本件事故について原告柳井に過失はない。

(二) 被告らの主張

被告車が緑色防水シートを落下させてから本件事故発生までの間に本件事故現場付近の下り線においては落下物の表示及び最高速度毎時五〇キロメートル制限の速度規制が行われ、多数の自動車がこれに従い本件事故現場を安全に通過していた。

原告車は、本件事故現場付近において時速約一三〇キロメートルの速度で前方の大型貨物自動車を追越車線から走行車線に車線変更して追い越した際、走行車線の前方やや右側に落下していた緑色防水シートを発見するのが遅れ、その直前でこれを避けようとして制御不能に陥り路外に逸脱する本件事故に至った。

原告柳井には、同人が制限速度を順守し、進路前方の道路の安全に注意を払っていれば、本件事故現場のかなり手前において緑色防水シートを発見し、減速するなど適切な回避措置を採ることが可能であったにもかかわらずこれを怠った過失がある。また、原告永田には、同人が原告車の助手席から原告柳井の運転を指導した際、原告柳井の制限速度を超過する運転を容認したほか、左前方の安全確認を怠り、追越車線から走行車線に車線変更し前車を追い越すよう指示をした過失がある。

したがって、本件事故は原告らの過失を原因とする原告車の単独事故であり、被告車からの緑色防水シートの落下と本件事故との間には相当因果関係がない。

2  原告らの過失は被害者側の過失に当たるか

(一) 被告らの主張

原告柳井は亡俊子の子、亡丈二の兄であり、本件事故当時原告永田及び亡俊子からの仕送りによって一時的に下宿して大学に通学していた。また、原告永田は亡俊子の夫、亡丈二の父であり、本件事故当時亡俊子及び亡丈二と同居し、同人らと生計を一にしていた。したがって、原告らは亡俊子及び亡丈二と身分上ないし生活関係上一体の関係にあったというべきであり、原告らの過失は被害者側の過失として損害賠償額の算定に当たり斟酌しなければならない。

(二) 原告らの主張

原告柳井は本件事故当時国立大学の三年生で成人しており、亡俊子及び亡丈二とは別居し、アルバイト等で生活費をある程度自分で賄っていたのであり、亡丈二も成人していたことからすると、原告柳井と亡俊子及び亡丈二が生活関係上一体であったということはできない。

3  原告らの各損害頷

(一) 原告らの主張

亡俊子は、葬儀費一三〇万円、逸失利益二八八〇万六六三〇円、死亡慰謝料二二〇〇万円の合計五二一〇万六六三〇円、亡丈二は、葬儀費一三〇万円、逸失利益一億四二二五万〇三〇一円、死亡慰謝料二二〇〇万円の合計一億六五五五万〇三〇一円、原告永田は、原告車の本件事故当時の時価二五〇万円、弁護士費用九〇〇万円の合計一一五〇万円、原告柳井は弁護士費用一〇〇万円の損害を被った。

(二) 被告らの主張

右原告らの主張は不知又は争う。

本件事故は平成六年に発生したものであり、当時の主婦及び無職独身男子の死亡慰謝料として相当な額は二二〇〇万円を下回る。

生活費控除割合は、主婦である亡俊子については四〇パーセント以上、独身男子である亡丈二については五〇パーセントが相当である。

亡丈二は、本件事故当時私立大学の医学部四年生であり、卒業まで少なくとも二年間、医学部の学費として五〇〇万円以上の支出を生じていたものであり、右支出を損害額から控除すべきである。

原告らは、本件事故後本訴提起までの間、被告らに対し何らの請求もせず、自賠責保険金の請求もしていないのであるから、弁護士費用及び事故日からの遅延損害金は損害に当たらない。

4  原告らの損害賠償請求権は混同によって消滅するか

(一) 被告らの主張

原告らは、亡俊子及び亡丈二の死亡により、両名に対する損害賠償債務を負うと同時に両名の損害賠償債権を相続したから、混同により原告らの被告らに対する損害賠償債権は一部消滅している(民法四三八条)。

(二) 原告らの主張

本件事故に基づく原告ら及び被告らの亡俊子及び亡丈二に対する損害賠償債務は不真正連帯債務であるから、混同の絶対的効力は生じない。

5  原告らの請求は権利濫用に当たるか

(一) 被告らの主張

共同不法行為の加害者が被害者の相続人に当たる場合、同人がいったん被害者に対し損害賠償債務を支払った場合に他の加害者に対し取得する求償権を超えて他の加害者に対し損害賠償の請求をすることは権利の濫用であって許されない。

(二) 原告らの主張

権利濫用の主張を認めれば、共同不法行為者は相続人の過失を問うことによりいたずらに訴訟を長期化することができ、被害者の保護に欠ける。

第三争点に対する判断

一  争点1、2について

1  前記争いのない事実等並びに証拠(乙一ないし一一、証人木村眞敬、原告柳井恭敏、同永田眞敏各本人。ただし原告柳井恭敏、同永田眞敏各本人については後記採用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 東名高速道路は、東京都世田谷区から愛知県小牧市に至る高速自動車国道(第一東海自動車道)であり、本件事故現場付近においてはほぼ直線状に東西に通じ、中央分離帯によって上下線が区分されている。また、道路の表面はすべてアスファルトで舗装されている。

下か線は、本件事故現場付近において三車線(北側から追越車線、走行車線、付加車線の順)及び路肩を有しており、その南端には高さ〇・七五メートルのガードレールが設けられている。下り線の走行車線及び追越車線の幅員は共に三・六メートル、付加車線の幅員は三・五メートル、路肩の幅員は一・七メートルである。

下り線の南側は、北側から順に、草の生えた盛り土の法面、高さ一・五メートの側道北端のフェンス、側道、高さ〇・七メートルの側道南端のガードレール、大池という名称の池へと続いている。そして、法面の幅員は二〇・六メートル、側道の幅員は四メートル、高速道路と側道との間の垂直距離は一〇・六メートル、側道と大池の水面との間の垂直距離は一・五メートルである。

(二) 原告柳井は、本件事故当日、原告車を運転して、亡俊子の実母の葬儀に参列するため、当時愛知県安城市にあった自宅から同県江南市に向かう途中、東名高速道路の下り線に入り、本件事故現場に差し掛かった。

原告柳井は、平成三年七月に運転免許を取得し、当時通学していた大学のある東京都及びその周辺においては原告永田から与えられた自分の自動車を使用していたが、帰省時には原告車を運転していた。原告永田は、原告柳井が原告車を運転し自分が同乗する場合には、原告柳井に対し安全運転の方法を指導することにしており、本件事故当日も原告車の助手席に乗車し、原告柳井に対し、原告車の運転方法について指示をしていた。また、原告車の後部座席には亡俊子及び亡丈二が同乗していた。

本件事故当日の天候は晴天であったが、やや北寄りの風が強かった。

(三) 被告小谷は、被告車を運転し、本件事故当日の午前九時二八分より若干前の時点において、原告車が走行するのに先だって原告車と同一方向に本件事故現場を通過した。被告車はその際、荷台前部のプロテクター上部シート台に青色防水シートを巻き込んだ緑色防水シートを乗せ、これを三本の古いゴムひもで固定していた。なお、右二枚の防水シートを広げた時の形状は、青色防水シートが横幅四・三メートル、縦幅二・五メートルの長方形、緑色防水シートは横幅六メートル、縦幅三・八五メートルの長方形であり、被告小谷は本件事故当時、青色防水シートを二つ折り、緑色防水シートを三つ折りにして巻いていた。

ところが、本件事故現場において、二枚の防水シートを固定していたゴムひもが劣化のために切れ、このため、被告車から下り線上に緑色防水シートが落下し、中に巻き込まれていた青色防水シートも緑色防水シートの中から飛び出して落下した。しかし、被告小谷は右二枚の防水シートが被告車から落下したことに気付かず、そのまま本件事故現場を通過した。

そして、緑色防水シートは本件事故現場の走行車線内の追越車線との間の車道境界線寄りの部分に落ち、高さ約一メートルの五角形に近い形状になって止まり、青色防水シートは落下直後に緑色防水シートから飛び出した後下り線三三八・九キロポスト付近のガードレールに巻き付いて止まっていた。

(四) 本件事故現場付近を管理する中部管区警察局公安部一宮高速道路管理室は、本件事故当日の午前九時二八分ころ、本件事故現場に緑色防水シートが落下している旨の通報を受けた。そこで、同室の日本道路公団名古屋管理局の職員は、同日午前九時三〇分ころ、下り線三三六・九キロポスト付近のA型(電光)表示板に「二キロ先落下物あり」の表示を出した。

また、同様に本件事故現場付近を管理する愛知県警察本部高速道路交通警察隊の訴外木村眞敬巡査部長(以下「木村巡査部長」という。)は、同日午前九時三〇分ころ、下り線春日井インターチェンジから小牧インターチェンジ間に最高速度毎時五〇キロメートル制限の速度規制を実施し、最初に下り線三三八・二キロポスト付近の回転式可変標識において右速度規制を表示した。

(五) 原告柳井は、本件事故直前、下り線三三四・三キロポスト付近において追越車線を走行中の訴外木下忍(以下「訴外木下」という。)が運転し、同尾関光典(以下「訴外尾関」という。)が助手席に乗車していた車両(以下「木下車」という。)を時速約一〇〇キロメートルの速度で走行車線を走行して追い越した。そして下り線三三六・九キロポスト付近において前記A型表示板の「二キロ先落下物あり」の表示を確認したが、右表示があることを助手席にいた原告永田には伝えなかった。

(六) その後、原告柳井が、本件事故現場直前において追越車線を走行中の大型貨物自動車(タンクローリー)に追い付いたところ、十分な車間距離がとられていなかったことから、原告永田から原告車の前方の視野が狭くなっているので加速しながら走行車線に車線変更をするよう指示を受けた。

そのため、原告車は加速しながら追越車線から走行車線に車線変更し、時速約一三〇キロメートルの速度で前記大型貨物自動車を追い越したが、原告柳井は大型貨物自動車を追い越すに当たり、同車に気をとられ、前方の走行車線内の追越車線との間の車道境界線寄りの部分に緑色防水シートが落下していることに気が付かなかった。なお、緑色防水シートの存在は、原告車が十分な車間距離をとってさえいれば、相当手前(少なくとも本件事故現場の約三〇六・五メートル手前)の地点で容易に発見が可能であった。また、原告らは下り線三三八・二キロポスト付近の回転式可変標識の最高速度毎時五〇キロメートルの制限の表示には気が付かなかった。

(七) 原告柳井は、原告車が緑色防水シートの直前まで進行した時点で右シートを発見し、右シートとの衝突を避けようとして、原告車を急に右に転把させて走行車線から追越車線に入り、追い越した前記大型貨物自動車の前に出たが、今度は中央分離帯と衝突する危険が生じたので、ハンドルを左に切り返した。ところが、原告車は制御不能となり、下り線を西南方向に横滑りして、そのまま下り線南端のガードレールに衝突した後、これを飛び越えて下り線から転落し、法面に数回着地した後、側道南端のガードレールも乗り越えて、前記の大池の中に落下し、停止した。

(八) 木下車に乗車し、原告車の後方を走行して本件事故を目撃していた訴外木下及び同尾関は、本件事故当日の午前九時三六分、非常電話(東名三三九)から日本道路公団に通報し、右通報に基づき同日午前九時四二分に木村巡査部長が本件事故現場に到着し、原告らの救助活動等に当たった。

以上のとおり認められる。

2  これに対し、原告らは、原告車は本件事故直前は時速六〇キロメートルから七〇キロメートルの速度で走行していたこと、その後加速しながら追越車線から走行車線に車線変更する途中、本件事故現場において大型貨物自動車が通過する際の風圧で立ち上がっていた緑色防水シートを避けようとして制御不能に陥った旨主張し、原告らの各供述中にはこれに沿う部分がある。

しかし、前記認定のとおり、原告車は高速道路を走行し、本件事故直前には前方の木下車を時速約一〇〇キロメートルの速度で走行車線を通って追い越したこと、また本件事故現場手前において前方の大型貨物自動車に追いついた時点において追越車線を走行していた右大型貨物自動車を再び走行車線から追い越そうとしていたことが認められるのであるから、これら事故前の走行態様に照らすと、原告車が本件事故当時原告ら主張のような低速度で走行車線が空いているのに漫然と追越車線を走行していたとすることは不自然である。

かえって、証拠(乙三、六、証人木村眞敬)によれば、訴外尾関は本件事故当時原告車の約二〇〇メートル後方を走行していた木下車の助手席から本件事故現場に緑色防水シートが落下していた情況や原告車が追越車線から走行車線に車線変更をし大型貨物自動車を追い越した辺りで本件事故が発生した情況を目撃していること、本件事故直後原告柳井は木村巡査部長に対し事故当時の原告車の速度が時速約一二〇キロメートルであったことを認めていたこと、緑色防水シートは高速道路上の風や車両の通過による風圧程度では広がったり立ち上がったりするものではないこと等の事実が認められる。また、乙第一一号証(鑑定書)によれば原告車のタイヤ痕は原告車が走行車線から追越車線に移る途中で形成され始め、いったん北に向かいながら南に鮮明な弧を描いていたこと、その旋回半径は当初一九〇メートルであり、ついで一八〇メートル、一三〇メートルの順に推移し、下り線南端のガードレール近辺で二〇〇メートルとなっていたこと、そして原告車の右のようなタイヤ痕の軌跡を分析すると、原告車が本件事故現場において時速約一三〇キロメートルの速度でタイヤ痕を形成し始め、その後姿勢を徐々に乱しながら限界速度コーナリングをしたことを推認することができることが認められる。

右各事実によれば、前記認定のとおり、本件事故当時原告車は時速約一三〇キロメートルの速度で走行中、前方の大型貨物自動車を追い越そうとしたところ、落下していた緑色防水シートが原告車の進路前方に落下したままの状態で存在していたことから、原告車がこれを回避しようとして制御不能になったものというべきである。したがって、原告らの前記供述部分は採用できず、他に右原告らの主張を認めるに足りる証拠はない。

なお、原告らは、本件事故当時速度規制はされていなかったとも主張し、証人木村眞敬の証言は信憑性に欠け、乙第八号証によれば日本道路公団は速度規制の表示を行っていないことをその理由として挙げる。しかし、証人木村眞敬の証言に不自然な部分はなく、かえって証拠(乙一〇、証人木村眞敬)によれば速度規制は警察の主管であって日本道路公団の主管ではないこと、本件事故当日の午前九時三〇分に愛知県警察本部高速道路交通警察隊所属の木村巡査部長が下り線において毎時五〇キロメートルの速度規制をその権限に基づいて実施し、本件事故後これを報告書に記載したことが認められ、右事実によると警察が速度規制をしたことと日本道路公団が速度規制の表示を行っていないこととは矛盾するものではないものと認められ、原告らの右主張も採用できない。

そして、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

3  そこで、前記認定の事故態様に基づき、原告ら及び被告小谷の各過失を検討する。

まず、被告小谷には、自動車の運転者は高速自動車国道等において自動車を運転しようとするときはあらかじめ貨物の積載状態を点検し必要がある場合においては積載している物を転落させることを防止するための措置を講じなければならない義務がある(道路交通法七一条四号、七五条の一〇参照)のにこれを怠り、積載していた緑色防水シートを下り線上に落下させた過失があるということができる。そして、被告小谷が下り線上に右シートを落下させたことにより、右シートが後続車両の障害となり、これを避けようとした車両が事故を起こす危険が当然に予測されるから、被告小谷による右シートの落下と本件事故との間には相当因果関係がある。もっとも、本件事故現場は高速道路ではあるが前記のとおり最高速度が毎時五〇キロメートルに規制されていたところ、原告車は時速約一三〇キロメートルの高速で走行していたもので、この点から被告小谷の過失と本件事故との間に因果関係を欠くと判断する余地もあるが、右規制がされたことから直ちに因果関係を全く欠くと即断するのは失当である。しかし、前記認定によれば被告車が前記シートを下り線上に落下させてから本件事故までには約七分以上の間隔があったことが認められ、これによるとその間に本件事故現場を通過した車両が多数あったことが推認され、そうすると、右シートを下り線上に落下させた被告小谷の過失が本件事故の主たる原因であるということまではできない。

次に、原告柳井は、本件事故現場の約二・一キロメートル手前の下り線三三六・九キロポスト付近のA型表示板が「二キロ先落下物あり」と表示し、同約八〇〇メートル手前の下り線三三八・二キロポスト付近の回転式可変標識が時速五〇キロメートルの速度規制を表示していたのであるから、右のような下り線の追越車線を走行するに当たっては、右各表示を認識し、十分に減速して落下物に注意して原告車を運転する義務があり、また走行車線から迫い越しをすることは避ける義務があった(道路交通法二八条一項参照)ことは明らかである(なお、前記標識が原告柳井にとって認識不能であったとの事実は本件全証拠によってもこれを認めるに足りない。)。しかるに原告柳井はこれを怠り、速度規制を見逃して制限速度を大幅に超える時速約一三〇キロメートルの速度で、しかも追越車線を走行中の大型貨物自動車を走行車線から追い抜こうとし、また、前車との車間距離を十分にとっていれば落下していた緑色防水シートが本件事故現場の約三〇〇メートル手前において認識可能であったのにもかかわらず(証拠(乙三)によると木下車に同乗していた訴外尾関は右シートを三〇六・五メートル前の地点で発見したことが認められ、これによると前記認定のとおり原告柳井も、車間距離が十分にあったときは右地点で発見し得たことが推認される。)、これを怠ったため、直前に至るまで右シートに気付かず急激な避譲措置を余儀なくされ、原告車の運転操作を誤った過失があり、これが本件事故を招いた決定的な要因であるといえる。

なお、原告永田も、本件事故当時原告車の助手席に乗車して原告柳井の運転方法を「指導」すると称していたのであるから、原告柳井が前記各義務を怠らないように補助すべきであったにもかかわらず、原告柳井に対し安易に追越車線から走行車線への加速しながらの車線変更を指示し、かつ制限速度を超過する速度で走行することを容認していたことについて過失があったと認めることができるが、このことから直ちに原告柳井の運転者としての前記義務が軽減されるものということはできない。

そして、右認定にかかる双方の過失の態様、本件事故発生との関連性に照らせば、本件事故発生についての被告小谷の過失割合は一割、原告柳井の過失割合は九割であると認めるのが相当である。

4  ところで前記争いのない事実等及び証拠(原告柳井恭敏、原告永田眞敏各本人)によれば、原告柳井は亡俊子の長男、原告永田は亡俊子の夫であり、原告柳井は本件事故当時東京都内の大学に通学するため千葉県で下宿をしていたが、学費及び生活費の大部分を原告永田及び亡俊子の仕送りによって生活しており、亡俊子と同居していた原告永田とともに、亡俊子と生計を一にしていたことが認められる。

そうすると、原告柳井と亡俊子、原告永田との関係は、身分関係上ないし生活関係上一体をなす関係であるというべきであり、右各関係において損害についての填補清算関係が現実化しないことは明らかであるというべきであるから、損害の公平な分担の見地から、右各関係については原告柳井の過失を被害者側の過失として過失相殺の対象となるものと解し、後記亡俊子の死亡に伴う損害及び原告永田の固有の損害については、前記割合の過失相殺をするのが相当である。

これに対し、前記争いのない事実等及び証拠(原告柳井恭敏、原告永田眞敏各本人)によれば、原告柳井は亡丈二の兄であるが、原告柳井は本件事故当時愛知県安城市に居住していた亡丈二と別居し、それぞれ成人し、大学に通学し、兄弟間で生活費の融通等金銭の授受をすることもなく生計を別個に立てていたことが認められる。

そうすると、原告柳井と亡丈二との関係は身分生活上ないし生活関係上一体をなす関係であるということは困難であり、原告柳井の過失を理由に亡丈二の損害につき過失相殺をするのは失当である。もっとも本件にあっては、原告車の助手席に同乗していた原告永田に前記の過失があったことが認められ、また証拠(原告永田眞敏本人)によると、原告永田は亡俊子及び名古屋市内の大学に通う亡丈二と同居し、その生活費等を支出し、生計を一にしていたことが認められる。

しかし、原告永田の「指導」は、自動車教習所の教官等の「指導」と異なり、その実質においては単なる助言にとどまり、本件事故はあくまで運転免許を交付されている原告柳井の自らの判断に基づくことは、前記認定の事実に照らし明らかである。そうすると、本件にあっては右のような原告永田の関与があったとはいえ、亡丈二に対する不法行為を考えるに当たっては、原告らの過失を被害者側の過失として過失相殺をするのは失当といわねばならない。

二  争点3について

1  亡俊子の損害額

(一) 葬儀費

亡俊子の葬儀費は一二〇万円が相当である。

(二) 逸失利益

前記争いのない事実等及び証拠(原告永田眞敏本人)によれば、亡俊子は、死亡当時四九歳のいわゆる専業主婦であったことが認められる。そこで、賃金センサス平成六年第一巻第一表産業計、企業規模計、学歴計の該当年齢(女子)の平均賃金三五一万六四〇〇円を基礎とし、就労可能年数を一八年、生活費控除を三〇パーセントとして、新ホフマン方式により中間利息を控除して亡俊子の逸失利益の本件当時の現価を求めると、次の計算式のとおり、三一〇二万二五二四円となる。

3,516,400×12.6032×(1-0.3)=31,022,524

(三) 死亡慰謝料

亡俊子の死亡慰謝料は二〇〇〇万円が相当である。

(四) 以上によれば、亡俊子の損害額の合計は五二二二万二五二四円である。

2  亡丈二の損害額

(一) 葬儀費

亡丈二の葬儀費は一二〇万円が相当である。

(二) 逸失利益

前記争いのない事実等及び証拠(原告永田眞敏本人)によれば、亡丈二は、死亡当時の平成六年二月には二二歳の私立大学の医学部四年生であったことが認められ、右事実によれば、亡丈二は、平成八年(二四歳)には医師国家試験に合格の上、医師として勤務することができることが推認される。

そこで、亡丈二の逸失利益を算定するに際しては、賃金センサス平成九年第三巻第三表企業規模計、医師(男子)の二五歳ないし二九歳の平均賃金七四六万二三〇〇円を基礎とし、就労可能年数を四三年とするのが相当であるが、独身である上、右のような多額の収入を得ること、これに伴う生活費の増加も考慮し、生活費控除を六〇パーセントとして、新ホフマン方式により中間利息を控除して本件事故当時の現価を求めるのが相当である。そしてこれによると、次の計算式のとおり、六三七八万五六五〇円となる。

7,462,300×(23.2307-1.8614)×(1-0.6)=63,785,650

(三) 死亡慰謝料

亡丈二の死亡慰謝料は前記のとおり、同人には多額の逸失利益を認めることを併せ考慮するならば一八〇〇万円が相当である。

(四) 以上によれば、亡丈二の損害額の合計は八二九八万五六五〇円である。

3  原告永田(原告車)の損害額

証拠(甲六、原告永田眞敏本人)によれば、原告車は全損であり、本件事故当時の時価は二三九万円であることが認められ、また、原告車の買替費用相当額は六万円と認めるのが相当であるから、原告車の損害額は二四五万円となる。

4  過失相殺

亡俊子及び原告永田(原告車)の損害額につき前記一の過失割合に従い過失相殺をすると、亡俊子及び原告永田(原告車)の損害額はそれぞれ五二二万二二五二円、二四万五〇〇〇円となる。

そして、原告永田は亡俊子の損害額の四分の三及び亡丈二の損害額の全額を相続しているから、同人の損害賠償請求権の金額は、亡俊子の損害額の四分の三である三九一万六六八九円、亡丈二の損害額の全額である八二九八万五六五〇円及び原告永田(原告車)の損害額二四万五〇〇〇円の合計八七一四万七三三九円となる。

また、原告柳井は亡俊子の損害額の四分の一を相続しているから、同人の損害賠償請求権の金額は一三〇万五五六三円となる。

三  争点4について

前記一の認定事実によれば本件においては原告ら(前記のとおり原告車は原告永田所有で、本件は葬儀に出席するため原告柳井に原告車を運転させ走行中というものであるから、原告永田も運行供用者として責任を負う。)と被告らとは共同不法行為者として賠償責任を負う地位にある。しかし、その責任はいわゆる不真正連帯債務の関係にあるものと解され、連帯債務に関する民法四三八条の適用はないと解するのが相当である。

したがって、原告らの債務が亡俊子及び亡丈二の死亡による相続に基づき混同によって消滅したとしても、被告らの債務にはなんら影響を及ぼさないというべきであり、この点に関する被告らの主張は失当である。

四  争点5について

前記三のとおり、本件においては原告らと被告らとが形式的には共同不法行為者の地位にあり、また原告らは亡俊子及び亡丈二の相続人である。しかし、前記のとおり、亡俊子及び原告永田(原告車)の損害額を算定するに当たって原告柳井の過失を被害者側の過失として考慮している。そして、共同不法行為者間の求償については別途当事者間において求償の問題として解決されるものであり、本件の原告らの請求が権利の濫用に当たるということはできない。

五  弁護士費用

本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は、原告永田分について四〇〇万円、原告柳井分について一五万円と認めるのが相当である。

なお、被告らは、本件において弁護士費用及び遅延損害金は損害に当たらない旨主張するが、独自の主張であってこれを採用することはできない。

第四結論

以上によれば、原告永田の請求は、被告らに対し連帯して金九一一四万七三三九円及びこれに対する本件事故日である平成六年二月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので認容し、原告柳井の請求は、被告らに対し連帯して金一四五万五五六三円及びこれに対する本件事故日である平成六年二月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので認容し、原告らのその余の請求は理由がないのでこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 北澤章功 榊原信次 中辻雄一朗)

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